2026年3月現在、慶應義塾大学病院の患者紹介フローはこうだ。
紹介元の医療機関が、診療情報提供書(紹介状)を地域医療連携室にFAXで送信する。病院側が予約を調整し、予約票をFAXで返送する。紹介状の原本は患者が紙で持参する。
慶應義塾大学病院では現在、電話・FAX・Webフォームの3方式が並存しているが、FAXが依然として主要な手段であることに変わりはない。東京慈恵会医科大学附属病院、金沢医科大学病院、久留米大学病院――日本の大学病院や地域中核病院の多くが、2026年の今もFAXを紹介状の主要な送受信手段として運用している。
この光景が、なぜA2Aプロトコルの話に直結するのか。
なぜ医療がA2Aの「最適な教材」なのか
前回、A2Aの恩恵を受けるかどうかを判定する3つの基準を示した。
- 自社だけでは完結しない業務があるか
- 相手に「判断」を委ねる場面があるか
- 相手の内部ロジックを知らなくても成立するか
医療は、この3つすべてに「Yes」と答えられる数少ない業界だ。しかも、その「Yes」が日常的に、大量に、しかも人命に関わる文脈で発生する。
ある患者が近所のクリニックで検査を受け、専門病院への紹介が必要と判断されたとする。この一つの出来事だけで、以下の組織が関わることになる。
- かかりつけクリニック:初期診断と紹介状の作成
- 専門病院:受け入れ判断、予約調整、検査・治療
- 調剤薬局:処方せんの受付と調剤
- 検査機関:外注検査の実施と結果報告
- 保険者(健康保険組合等):診療報酬の審査と支払い
5つ以上の組織が、1人の患者に関する情報を、それぞれ異なるシステムで、異なるタイミングでやり取りする。しかもその情報には個人の健康データという最高レベルの機密性が求められる。
これは、まさにA2Aが設計された問題だ。
現状の痛み ― FAXと電話と待ち時間
具体的に、現状のワークフローがどれほど非効率かを見てみよう。
紹介状の作成と送付
クリニックの医師が紹介状を作成する。この作成自体にも時間がかかる。電子カルテから患者の情報を引き出し、紹介先に伝えるべき所見、検査結果、治療経過を文章にまとめる。ある医療法人の報告によれば、ChatGPTを活用した紹介状の自動生成により、作成時間が従来の1/10に短縮されたという。裏を返せば、従来はそれだけの時間をかけて手作業で書いていたということだ。
作成した紹介状は、FAXで専門病院の地域医療連携室に送られる。2026年現在、FAXは依然として医療機関間の文書送受信の主流だ。なぜか。紙の紹介状には医師の署名・押印が必要であり、電子的に送る場合にはHPKI(医師資格証)による電子署名が求められるからだ。2025年1月時点でHPKIカード保有者は10万人を超えたものの、医師全体の保有率は約29%にとどまっており、結果としてFAXが「一番確実な方法」として残り続けている。
予約調整と受診
専門病院は、受け取った紹介状をもとに受け入れの可否を判断し、予約日時を調整する。調整結果はFAXまたは電話で紹介元に返される。患者にはクリニックから電話で予約日時が伝えられる。
受診当日、患者は紹介状の原本、保険証、お薬手帳を持参して病院の受付窓口に向かう。紹介状の紙は受付でスキャンされ、画像データとして電子カルテに紐付けられる。ある医療機関では、紙の紹介状をドキュメントスキャナーでスキャンし、1回100枚の処理を日常的に行っている。
検査結果の返却と逆紹介
専門病院での検査・治療が一段落すると、経過報告や逆紹介状がかかりつけクリニックにFAXまたは郵送される。薬局への処方情報も、基本的にはFAXか紙の処方せんで伝達される。
この一連のプロセスにおいて、同一の情報が異なる形式で何度も転記・変換されている。医師が電子カルテに入力した情報が紹介状として紙に印刷され、FAXで画像化され、受け取り側でスキャンされて再び電子化される。情報がデジタル → 紙 → アナログ信号 → 紙 → デジタルと変換されるたびに、精度が落ち、時間がかかり、誤りのリスクが生まれる。
A2Aが実現する「あるべき姿」
では、同じシナリオをA2Aが機能する世界で再構成してみよう。
ステップ1:紹介の自動起動
かかりつけクリニックの電子カルテAIエージェントが、患者の検査結果と症状から「循環器内科の専門医への紹介が適切」と判断する。医師がこの提案を承認すると、クリニックのエージェントがA2Aプロトコルを使って、近隣の複数の専門病院エージェントに問い合わせを開始する。
具体的には、各専門病院が公開しているAgent Card(前回解説した「名刺」)を参照して、「循環器内科の初診を受け付けるか」「どの認証方式に対応しているか」を確認する。Agent Cardに「循環器内科の新規患者受付」というスキルが記載されていれば、そのエージェントにタスクを送信する。
ステップ2:受け入れ判断の委任
ここがA2Aの真価が発揮される場面だ。
クリニックのエージェントは、FHIR(Fast Healthcare Interoperability Resources)形式で構造化された患者の診療情報を、A2Aのメッセージとして専門病院のエージェントに送信する。FHIRはHL7 Internationalが策定した医療データの国際標準で、患者情報(Patient)、検査結果(Observation)、処方(Medication)といった情報を構造化されたリソースとして定義する。
専門病院のエージェントは、受け取った情報をもとに自律的に判断する。自院の外来枠の空き状況、担当医のスケジュール、患者の症状の緊急度を総合して、受け入れの可否と候補日時を返す。
重要なのは、この判断プロセスにおいて、クリニック側は専門病院の内部ロジック(どの医師がどの曜日に外来を持っているか、どの検査機器が空いているか)を知る必要がないということだ。A2Aの「不透明性(Opacity)」の原則が、ここで機能する。各病院の内部事情は各病院のエージェントだけが知っていればいい。
ステップ3:処方と調剤の連携
患者の診察後、専門病院のエージェントが処方情報を生成し、A2Aで調剤薬局のエージェントに送信する。薬局エージェントは在庫を確認し、調剤の準備を開始する。患者が薬局に到着する前に調剤が完了している。
ステップ4:保険請求の自動化
診療が完了すると、関連するすべてのエージェントが診療報酬の情報をA2Aで保険者のエージェントに送信する。保険者エージェントはレセプト(診療報酬明細書)を自動審査する。従来は月末にまとめて行われていた請求処理が、リアルタイムに近い形で進行する。
「手」と「口」の組み合わせ ― MCP + A2A + FHIR
第1回で、MCPが「手」、A2Aが「口」に相当するという比喩を紹介した。医療の文脈では、このレイヤー構造がより明確に見える。
FHIR(データ層)。 患者情報、検査結果、処方データなどの医療データを構造化する国際標準。A2Aのメッセージの中身は、FHIRリソースとして記述される。FHIRが「言語」であるならば、A2Aはその言語で会話するための「通信手段」だ。
MCP(ツール接続層)。 各病院のAIエージェントが、自院の電子カルテ、予約管理システム、検査結果データベースにアクセスするためのインターフェース。エージェントの「手」として、院内のシステムを操作する。
A2A(エージェント間通信層)。 異なる組織のエージェント同士が会話するためのプロトコル。クリニックのエージェントと専門病院のエージェントが、お互いの内部システムを知ることなく、タスクを委任し合う。
Adnan Masood博士の分析はこの構造を端的に表現している。FHIRと医療実装ガイドが規制に準拠したデータプレーンとして機能し、A2Aがスキル発見とタスク管理の外部制御プレーンとして機能する。一つのプロトコルですべてを解決しようとするのではなく、レイヤー化されたプロトコルスタックが最善の技術的回答だと述べている。同様の技術構成はInfinitus社の分析でも詳しく論じられている。
A2Aが医療で特に有効な4つの理由
このシナリオで、なぜA2Aが従来のAPI連携よりも優れているのかを整理する。
理由1:組織の境界をまたぐ「判断」がある。
紹介状の受け入れ可否は、単なるデータ照会ではない。患者の状態、外来枠の空き、医師の専門性、他の予約状況を総合的に判断する必要がある。REST APIで定義できる静的なエンドポイントでは、この種の自律的判断を表現できない。A2Aのタスクモデルは、「判断を委ねて、結果を待つ」ことを前提に設計されている。
理由2:内部情報を開示できない。
病院Aが病院Bの外来スケジュール管理システムに直接アクセスする構成は、セキュリティ上も運用上も現実的ではない。A2Aの不透明性の原則は、各医療機関が自院のシステムを外部に公開することなく、エージェント同士で連携できることを保証する。
理由3:処理に時間がかかるタスクがある。
保険の事前承認は数日かかることもある。検査結果の返却も即時ではない。A2Aのタスクは非同期で設計されており、SSE(Server-Sent Events)ストリーミングやWebhook通知によって、長期にわたるタスクの進捗をリアルタイムで追跡できる。
理由4:監査証跡(トレーサビリティ)が必須。
誰がいつ何を判断したかの記録は、医療において法的に求められる。A2Aのタスクには固有のIDが付与され、すべてのメッセージとステータス変更が履歴として追跡可能だ。これは診療の透明性と患者の安全を支える重要な機能だ。
すでに階段は登り始めている
ここまで描いたA2Aの世界は、「明日から実現する」ものではない。電子カルテの標準化、FHIRの普及、HPKIの浸透といった課題が残っている。A2Aによるフル連携が日本の医療現場に広がるには、まだ時間がかかる。
しかし、この変化を「遠い未来の話」として片付けるのは正しくない。なぜなら、その階段はすでに1段目が登られているからだ。
階段1段目:院内AIの導入。 NEC、富士通、IBM、OPTiMといった電子カルテベンダーが相次いで生成AI機能を搭載し、紹介状の自動生成や退院サマリーの下書き作成が実用化されている。JCHO北海道病院とNTTドコモビジネスは、プレシジョン、シーエスアイとの4者体制で、AI音声認識によるカルテ下書きとSMART on FHIRによる電子カルテ連携を国内初の一連の仕組みとして実証を開始した。JCHO大阪病院と富士通Japanも2026年2月に退院サマリ作成と看護申し送りの効率化を主対象とした生成AI導入プロジェクトを開始し、全国の公的病院へのモデルケース展開を目指している。
階段2段目:デジタル連携基盤の整備。 日本ヘルスケアプラットフォームの紹介統合WEBシステムは、すでに420以上の医療機関で稼働している。紹介予約のオンライン調整、紹介状の電子添付、HPKIカードによる原本化に対応しており、FAX依存からの移行はすでに始まっている。2024年度の診療報酬改定では「電子的診療情報評価料」(30点)が新設され、電子的に診療情報を受け取った場合に診療報酬が算定できるようになった。さらに2026年度改定(2026年6月施行予定)では「電子的診療情報連携体制整備加算」が新設され、デジタル連携への経済的インセンティブがさらに拡充されている。
階段3段目:国際的な標準化の進行。 HL7 InternationalのAI Transparency on FHIRプロジェクトでは、AIが医療データに関与する際の透明性基準を策定しており、その実装ガイドではMCPとA2AがAIインタラクションの操作プロトコルとして参照・列記されている。HL7のChief AI OfficerであるDaniel Vreemanは、MCPやA2Aプロトコルを「FHIRベースのアプローチと連携させる方法の探索が活発に行われている」と述べている。GitHubにはA2A+FHIRのマルチエージェント医療システムが公開され、国際ハッカソンも2026年3月〜5月に開催されている。技術的な実装パターンは、すでに蓄積が始まっている。
流れは不可逆だ。問題は「来るかどうか」ではなく、「来たときに準備ができているかどうか」だ。
今、Webサイトでできること ― 技術を現場の付加価値に変える
「A2Aのフル実装はまだ先。では今、何をすべきなのか。」
A2Aによるエージェント間連携が機能するためには、その前段階として、エージェントが医療機関を「発見」できなければならない。前回の「4段階の恩恵マップ」で述べた通り、A2Aの恩恵が「小さい」とされた一般的な企業サイトやコーポレートサイトであっても、「AIエージェントに発見してもらう」ための基盤整備は今すぐ着手すべきテーマだ。
医療機関のWebサイトで言えば、以下のような対応がそれにあたる。
Schema.orgのMedicalOrganization。 診療科、診療時間、対応疾患、所在地、電話番号といった情報をJSON-LDで構造化する。AIエージェントが「循環器内科で初診を受け付けている、○○駅から2km以内の専門病院」を探す際、構造化データがなければ候補に上がらない。
llms.txtの設置。 サイト全体の構造と主要コンテンツの概要をAIが読める形で提供する。地域医療連携室の案内ページ、紹介予約の手順、対応する保険種別など、紹介元のクリニックや患者が知りたい情報をAIが素早く把握できるようにする。
セマンティックHTML。 見出し構造、ランドマークロール、alt属性の適切な設定。これらは従来のアクセシビリティ対応と同じ作業だが、AIエージェントにとっても「ページの意味」を理解する手がかりになる。
これらは新しい技術ではない。しかし、「AIエージェントに発見される」という新しい目的のもとで、その価値が大きく変わる。
次世代の技術を追い求めることと、それを今の現場で活かせる形に翻訳すること。この2つは別の仕事ではなく、地続きだ。A2Aの設計思想を理解しているからこそ、「今はSchema.orgから始めるべきだ」と言える。プロトコルの全容を知っているからこそ、「まず足元のWebサイトを整える」という判断に確信が持てる。
第5回では、この「AIエージェントに見つけてもらえるWebサイト」を、業種を超えた汎用的なフレームワークとして掘り下げる。
次回予告 ― AIが代わりに買い物をする
第3回は、EC。AIエージェントが消費者に代わって商品を比較し、価格を交渉し、購入を完了する世界。A2Aに加えて、GoogleのUCP(Universal Commerce Protocol)やAP2(Agent Payments Protocol)も絡み、プロトコルスタックはさらに厚くなる。
この記事はシリーズ「AIエージェントがあなたの会社と取引する日」の第2回です。
参考情報
医療法人社団モルゲンロート ChatGPTを活用した紹介状自動生成システム(PR TIMES, 2025年3月14日)
JCHO北海道病院 AIカルテ下書き実証開始(NTTドコモビジネス, 2026年1月19日)
JCHO大阪病院 生成AI利活用プロジェクト開始(富士通Japan, 2026年2月19日)
紹介統合WEBシステム(日本ヘルスケアプラットフォーム)
Agents Assemble Hackathon(Devpost, 2026年3月〜5月)
Health Agents Collective(GitHub)
Building the Standards Infrastructure for Healthcare AI(HL7 International Blog)
AI Transparency on FHIR Implementation Guide — General Guidance(HL7 FHIR IG)
The Enterprise Blueprint for Healthcare Payer Agentic Communication — A2A Outside, MCP Inside, FHIR at the Core(Adnan Masood, PhD., Medium, 2026年3月)
Enabling modular, interoperable agentic AI systems in healthcare(Infinitus, 2025年6月)
Revolutionizing Healthcare Through Agent Interoperability(On Healthcare Tech, 2025年4月)
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